go-ka  ゴカ なスローライフ

農的暮らし?をする予定。日の出と共に起き、畑で野菜を作り、・・・たまに、パンなど作り、温泉に入り?。。。まだまだ、予定は未定です。協力者、求む!!!

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昨日ライブで、CDを買ったので、聞いてみました。またシタールと、タブラの音が蘇ってきました。

ラーガはインド音楽の基本的音階、かつ旋律パターンで太陽の位置、光の動きと点を反映させる工夫がなされ歌い、奏でる時間が限定される。真昼のラーガは曖昧な半音はなく、メロ
デーは、安定、どっしりしている。真夜中のラーガは哀愁の中に安住する。夜明けと黄昏のラーガは半音が多く、風を受けたロウソクのように、移ろいゆく。
タールは拍子だが、単なるリズムではなく、宇宙と体内のリズム周期が作り出す時間の流れと、心臓の鼓動に律せられ、サンスクリット詩の韻律を反映する。光の彩りと身体の綾の共鳴が情熱、歓び、静寂、幻想といった情熱や、季節、時間の現象を、絡めとっていく。

宇宙は音楽で満たされており、人々の生活もまた、音楽。

朝、普通に起きて、トイレに行き・・・ご飯を食べ、働き・・・普通のくらし、身体。
当たり前の事を、当たり前にしていることに、歓びを、感謝を、尊敬を、幸せを。満足を。感謝を。新しい一日、今を、今に、出会いに、出会いを。
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まこもたけも、もう終わり。今夜は、ハロウィン?らしくレストランも、ハロウィンな感じで仮装して楽しい感じでした。

まこもたけを、頂いていた二木さんにもお礼をと、思いながらも。。。この場でありがとうございます。

まこもたけは、中国野菜らしい。植物繊維を豊富に含んでいるほか、ビタミンB1、B2、カルシウム、鉄などのミネラル、葉緑素を多く含んでいます。便秘解消や、血液の流れをよくすると言われています。生でも、おいしいです。加熱した方が、甘みや、香りがまします。しすぎると、歯ごたえがなくなるので、要注意。
気温が下がると黒穂菌の黒い色素により、まこもの乳白色の部分に黒い斑点ができることがあります。このはんてんは古くから、眉ずみ、お歯黒などの染料として使用されてきたもので、食するのには全く無害で、食感も変化ありません。

今、最後のズッキーニの収穫。ピーマンも終わりだろうな。今まで、ありがとうって、感じ。徐々に、冬支度。もう、3時ぐらいを過ぎると寒いので、昼間の短い時間が勝負。豆を収穫。実りの、秋です。

日々、感謝。多くの人、野菜、出会い、全ては繋がっている。感謝です。
今日は体験ステイだった人が遊びにきてくれた。感謝です。
『すべてオッケー。自分の心が喜び感じるならすべてオッケー。自分の心が自分の答え!』

今朝、自転車で北海道から、沖縄まで旅行しているお客さんが旅立った。時々、そういう強者がくる。テントと、シュラフを持っていつもは、野宿をしたり、道の駅で寝たり・・・。自転車で自分のペースで進む。自分には、無理だろうって、少し羨ましい気がする。自分の力の、無限と、限界。

どこにでも行けそうな自分と、どこへにも行けない自分。

今頃、彼はどこで寝ているのだろうか。。。木曽福島あたりまで行くって言っていた。
出会い。出会いはスタート。別れもスタート。なんてね。いつだって始められる。
今日は、森の子まつり。
朝からバタバタして・・・。
イライラしたり、イライラさせたり、ニコニコしたり、怒ったり、怒られたり、泣いたり、泣かせたり、泣かれたり・・・笑ったり、笑われたり、笑わせたり。
それでも、お腹が減ったり、トイレに行きたくなったり、地球はまわっています。
その時は、感情的になったりもする。でも、終わってみたら、全てどうでもいいような、気がする。そう思えば、もっと、肩の力、抜いてもいいかなって。

take it easy.......どうでもいい。どうにかなるさ。
「私自身もひとりの人間です。この世の中にはたくさんの人間がいるわけですけど、私自身も、ひとりの人間にすぎません。
私達人間の中には、何かを破壊してしまう力も備わっています。建設的な事を行う力も秘められています。
私たちがもっている感情のなかに「怒り」があります。怒りは破壊的なことをももたらす感情ですけど、それの逆の働きをする「愛」や、「人を思いやる心」も、自然と私たちには備わっているのです。例えば、ある植物のことを考えてみれば、毒となる植物もあれば一方では薬草として人のために焼くにたってくれる植物もあります。

私たちの心のなかには、常に良きモノと悪いもの、建設的なものが同時に存在しています。ですから破壊的なものを知ること、そしてより建設的なものの考え方を自分のなかにますます高めていくことが必要になってくるのです。そのためには何が破壊的な行為であるのかを、はっきり把握して認識しなければなりません。

慈悲の心、執着の心。この両方には似通った性格があります。お互い親近感を持っているという共通点があります。

慈悲の心には偏見がありません。すべての人に対して平等に自分の心の中にわき上がってくる思い。ところが執着の心には最初から偏見が存在しています。慈悲の心には智が備わっています。執着の心には破壊的な部分が入ってきます。執着の心というのは、ある特定の自分の身近なひとにだけ持つのです。自分の身近な人には執着して、そうでない人には距離をおいてしまうことになります。
本物の慈悲の心というのは、絶対に嫌悪の気持ちと一緒になることはありません。非常に広い視野を持っているので、そこには怒りの気持ちが入る余地はないのです。

私達にとって何よりも大切なのは人間関係です。
私たちは社会生活を営んでいく生き物です。ですから自分ひとりだけを考えればいいというのはあり得ないことなのです。私たちはひとりではなく、周りの人達によって助けられ、社会によって助けられ、周りのすべてのことを依存することによって自分自身が生きていける。自分ひとりだけがこうなったらいいというものの考え方をし、かつ周りの人たちはどうなってもいいというような、考え方は間違っています。
自分自身は、周りにいる全ての人に依存することによって、周りの人たちのおかげで生きている。自分自身のこれからの未来というのは、自分以外の人によって生じる事を、十分把握することが大切です。
他の人たちと友好的な関係を育むために、一番必要とされている要素は愛と慈悲なのでないでしょうか。

すべてのものは総合的に存在しています。同じひとつの対象物でも、こちら側から見たモノと違った角度から見たモノとでは、性格はまったく違って見えるものなのです。絶対的な価値というものは存在しておらず、すべてのものは常に移り変わるものなのです。ですから様々な見解があって当たり前。様々な人が違う意見を持っているのも当然なのです。

同じ対象物を見る場合にも、人それぞれの意見の違いがあり、違った見方があり、違ったたずさえ方があり、違った感覚があります。そして同じひとりの人間でも、時が違ったり別の考え方の見方から見ることによって、同じ対象物でも様々な味方が生じます。
すべてのものに、対して狭いモノの味方をする場合には、私たちは色々なものに、とらわられ、自分の心の中にジレンマが生じてしまいます。
しかし、ひとつものを見る場合、よりよい視点に、広い視野に立ったモノの考え方をしていくならば、いろいろなことを全て、受け入れていけることができるようになります。結果として、自分自身の心の持ち方もゆとりができるのはなでしょうか。

こういったものの考え方をご自分のなかでさらに広げていっていただきたいと思います。そして、こういったものの考え方が、それぞれの人にとって役にたつものであるならば、それをますます高めていくように、自分自身の心を訓練していっていただきたいと思います。」

ダライラマの、メッセージは、とても心に響きます。わかりやすいです。
僕ら、自分が、これからどうやって、生きていくか、社会と、関わっていくか、答は明確なようなきがしています。
集団生活とは、誰かと何かをシェア、共有する事が基本のような気がする。それが、モノであったり、時であったり・・・。それが、煩わしく感じる時もあれば、楽しみと、感じる時もある。喜怒哀楽、常に表裏一体。誰か、共有すること、喜びでありたい。楽しみでありたい。その中で、自分のスペースを、いかに、キープし、シェアするかが、課題なような木(気)がしています。

車、電話、テレビ、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、電子レンジ・・・一人一台の、時代。人によっては二つ、三つ持っていたりする。別に批判する気はない。個人の自由だと思う。モノの豊かさの裏で、モノの貸し借り、時間の貸し借りがなくなり、僕ら、は、「自由」と「快適」を手にした・・・でも、でも、でも。

まずは、自分の生活を変えること。シフトダウン?!アップ?・・・無理、無駄なく、心地よい暮らしができたら、いいなって。
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「いのちが一番だと思っていたころ 生きるのが苦しかった
 いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」 星野 富弘
「小さい自己と、大きな自己とを結びつけることが大切である」

「もし、自分が死んでしまったら、私というモノはしんでしまうのではないでしょうか?」

「 死ぬということは、どういうことですか?」

「肉体が死ぬということ?」

「肉体は毎日死んでいます。寝るたびにしんでいます。水が水のままであるように、肉体は決して死ぬということはありません。木があるとします。でもその木は家になりました。科学者はこの地球上で何も消えてなくなるわけではない、って言っています。
では、生命はいつから始まったのでしょうか?死について話しているので、生命について話してみましょう。あなたが生まれた時に生命は始まったでしょうか?お母さんのお腹にいた時は生きていなかったでしょうか?受胎の時、卵子も、精子も生きていたのではないでしょうか?生命はいつ始まったのでしょうか?どうやって終わりがくるのでしょうか?
ただ分解していくだけです。」

「私が死ぬと意識がなくなります。一般的にいって、人が死ぬと言うことは、意識を失ってそのことを「死」と呼んでいます。」

「PERSON」っていう言葉を知っていますか?ギリシャ語の「ペスソナ」からきていいます。お面という意味です。宇宙の一部である霊はインド人、日本人、男性、女性、などといったお面をかぶっています。海の一滴の水のようなモノです。あなたは水です。海があります。その二つにどのような違いがあるでしょうか?」

「器が違うだけです。宇宙全体の意識の小さなしずくの違いです。私たちは、同じ海で、違いはありません。分離しているのは、あなたの想像が作り出したモノです。実際、分離はありません。ただの想像ですから・・・」 スワミジの言葉から

日々、多くの人の、死、生まれに、出逢います。そして、悲しみ、喜び、・・・
そして地球は回っています。

「死とは古い衣を着替えるようなモノ・・・」ダライラマ。
「大地に根ざした暮らし、生活」

いったいどれだけの、人を傷つけ、どれだけの人に傷つけられ、甘え、甘えられ、助け、助けられ、泣き、泣かせ、困らせ、困らさせし、笑い、笑わられ、悲しみ、悲しませて、・・・自分は生きているのだろうか・・・。
全ては、繋がっている。
自分だけが、のこのこ、楽しいわけには、いかない。でも、自分が楽しくなかったら、人の幸せなんて、考えられないかも。全て、+、-ゼロ。そう思うと、何か、少し悲しい。自分が楽しい分、世界のどこかで、誰かが苦しい思いをしている・・・自分の暮らしは、誰かの犠牲の、上に、不幸の上に成り立っている。でも、自分の不幸は、誰かを幸せにさせているのか?・・・そんなことないだろうな・・・。自分が不幸だったら、親や、兄弟、友達も悲しいだろうし・・。自分が幸せだったら、幸せだろうし・・・。

ブラジルのアマゾンの、メイナク族という部族には、「幸せ」「自然」・・・そういう言葉がないらしい。

「自分と向き合うこと」 バランスかな・・・
「 人はまず幸福になろうとするから自分を見失う。
    幸福なんて探し求めるものでも望むものでもない。
     そんなものは食後の満腹感のようなもので、
      何を食らうかが重要だ。
       大事なのは何をしたいか、だ。」
          
      ― 森永博志『ドロップアウトのえらいひと 』― 
     
最近の、朝の冷え込みは、厳しい。霜が降りています。
自然のリズムと共に、生きる。簡単&シンプルな、ようで実は、一番出来てないようなきがする今日この頃。
最近、(っていうか前から?)、時々、雑誌や本、めデェァに、シャロムが出ています。良いか悪いか、わかりませんが・・・。結局、情報なんて分からないもの。新聞、テレビ、ラジオ・・・どれを信じていいのか?結局、自分でしかない。

「包んでいるものは自然にかえるものばかり。私だったら、すぐにラップやアルミホイルを使ってしまうのに。感動しました」

ありがとうございます。また、がんばろうって、元気をもらった気がします。
ありがとう。シャンティ。
カブを厚めの回しきり(くし切り)。塩で和えて水分をだす。フライぱんでから煎り。表面に焦げ目をつける。ごまをすって、みりん、しょうゆで味付けして、和える。。。簡単です。焼くことによって甘みが増すような気がします。辛味とうまみのバランス?!
大根を短冊切り。塩もみしていおく。十分に、水をきるように、絞る。それに、みりんを煮きってそれに、醤油を足して(醤油と、みりんは一対一)、大根と和える。ショウガや、鷹の爪で、変化をつけたりもします。ご飯が進む、一品!(だと、思う)。
ちりめん冬菜を湯がいて1.5センチに切る。ごまをすって、そこに、塩、醤油、みそ、ミリンを、加えてあえる。シンプルですが、とってもおいしいです。

最後にすり鉢に、ご飯を入れておにぎりにしたり、みそ汁を入れて飲んだり、何度でも楽しめます?!
冷や麦は夏って感じですが、チャンプル風にしてもとてもおいしいです。
今の季節、人参葉、大根葉、カブ菜など、青菜を細かく刻んで、油で炒めて、冷や麦と和えるだけです。ショウガが、にんにくとか、鷹の爪で、変化も、面白いです。
秋はやっぱり、キノコです。

キノコをほぐす。油をひいた鍋で塩で、軽く炒めて、全体に火がとおったら、蓋をして蒸し煮。かさ(量)がだいぶ減ります。それに、梅酢、醤油、酢、みりん、れもん液を入れて味を調える。わかめを和えたり、たまねぎ、季節の野菜を足すと、ベターです。カブとか、大根とか、色々な野菜を和えると、おいしいです。
小豆を洗う。マクロでは、一回茹でてお湯を変えたりしないようです。灰汁をうまみに変える。(でも、僕は昔からの癖?執着で茹でこぼしています・・・)。小豆の2.5倍ぐらいの水入れて、煮る。時々、水を足して様子を見る(ビックリ水?)。やわらかくなったら塩をいれる。そしてカボチャを入れる(一口大の大きさに切って塩で軽く和えておく)。少しずつ醤油、塩、酒、ミリンを入れて味を調える。

カボチャの種類によって、水っぽいとか、甘いとか色々なので、僕は、何種類かのカボチャを混ぜています。
キノコを、ほぐしてご飯と一緒に炊く。塩、醤油、みりん、酒も入れる。
佐伯さんから、頂いた黒米を少し入れました。色もとてもきれいです。
炊き込むと、全てがおいしく感じる気がします。ハーモニーが大切って感じる今日この頃・・・秋の夕暮れは早いです。
サツマイモを、塩で和えて蒸す。りんごを、切る。地粉と全粒粉と、塩、ベーキングパウダー、を、水でホットケーキぐらいの固さになるようにする。そしてフライパンで焼く。

サツマイモの甘さと、リンゴの甘さと酸味が絶妙です。
ただのパンケーキって感じですが、簡単でおいしく、おすすめです。
かぼちゃなども、グッドです。
昨日の夜は、PC塾でした。そばでした。蕎麦の実演をやって頂き、とても盛り上がりました。そして、あまった、そば湯に、くずと、甘みにテンサイ糖をいれて固めました。はちみつを、入れたりしてもおいしいと、思います。
みんな、はじめは、おいしいのか?って疑問でしたが、以外においしくてよかったです。


よくパスタのゆで汁で、頭を洗ったりと・・・
今日は、松本で、ジャマイカのグローバリゼーションについての、映画があったでの見に行きました。ジャマイカは、30年ぐらい前まで、イギリスの統治下だったらしいです。それから独立して、「自由」になったはずでした。豊かになると、国民は期待しました。
しかし、事態は悪くなるばかり。

今の、自分の生活を振り返ると、外国製品に、囲まれて生活している。一杯働いて、金を稼いで、貯めて、外国に遊びに行く。

「発展とは何か」っていう、話に似ている。

資本主義経済は利益だけを、追求している。自分もその中にいて、責めることは、できない。いや、できるんだけど、中にいて、甘い汁をすっている、一員。自覚がなくても、そうなのである。

金持ちは、貧しさ解消の為といい、金を貸し、工場を造り・・・。雇用促進、失業者対策といい、プランテーションを広げる。でも、結局、人件費の安いところに、時間がたてば、移っていくだけ。残された方は、何も残らない。元の生活にも戻れない。どんどん、外国の安い野菜、果物が輸入され、昔からの農家は、生き残れない。作っても、売れない。悪循環。何の為の、資本投入なのか?先進国が、結局、利益を吸い上げている。。。
政府は、利子の返済に追われる。

フェアーな、関係。フェアーな、競争。

今、自分に出来る事って、何だろう。
自分の生活を見直す事。米を作る事。野菜を作り、伝える事。
PJさんの奥さんのユリさんのブログで、面白い話がありましたのでご紹介します。

状況説明:旅先でユリさんがスーツケースの鍵をなくし、PJさんがそれをなんとか開けようとしています

魔法使いパトリス・ジュリアンは、ノルマンディの一軒宿につくと静かに椅子に腰掛け、スーツケースを引き寄せた。
かがむようにして、鍵を握っている。
何しているんだろう?
念力で開けるつもりかしら?
5分ほどして立ち上がり外の空気を吸いに行く。
これって、スーツケース壊すか鍵をチェーンソーで切るしかないんじゃない?
戻ってきてまた同じ体勢にはいっている。
超能力のスプーン曲げの要領かな?
また5分して今度は荷物の整理なんかやってる。
これを数回繰り返しているあいだ、わたしもやってみたくなった。
彼が席をはずしている時、鍵を握って曲がれ曲がれと念じてみた。
ユリ・ゲラーと同じ名前なんだからさ、超能力ぐらい出来そうじゃん。
もうそろそろかなと、エィッとばかりにひねってみる。
無理か。やっぱり本気で信じないとだめ?
「ちょっとユリちゃん、そんなことしたらダメ!バイオレンス(暴力)で始めたらバイオレンスでしか終わらないんだよ!」
「… 超能力で切るんじゃないの?」
「は?」
PJさんは残念ながらわたしほど非科学的な人ではないようだ。
「今ね、鍵から答えを待ってるんです。鍵にやさしくしたいから、いい開け方教えてほしいってお願いしてる」
「答えが来るの?」
「来ると思う」
そう言って鍵を握りなおす。
彼の起こす奇跡は何度も見てきたけれど、今度ばかりは本当かなぁ。
「針とか持ってる?」
「探してくる」
安全ピンを見つけてきて差し出した。
彼は鍵穴に針を入れてガチャガチャはじめた。
うっそー、漫画の泥棒みたいに針で開ける気?
鍵とはいってもスーツケースメーカーの立派な鍵である。
そんな簡単に開いたらいけないと思う。
時間は経つが、やはり開かない。
すると、おもむろに立ち上がるPJさん。
キッチンへ向かう。
何やら引き出しをゴソゴソやっていたが、あるキッチングッズを見つけてきた。
安全ピンはやめてそのキッチングッズでガチャガチャ。
ガチャガチャ、… かちり☆
奇跡だ。
「キッチンへ行けとメッセージが来たんだ。引き出しを開けたとき、これしかないと解ったんだ」
深い教えを見せつけられた。
バイオレンスで始めたらバイオレンスでしか終わらない。
鳥肌立つほどの一言だった。

生きていること、生きていくことで、大切なことって、何だろうな?って切に思う今日この頃。
今日は朝から、快晴。最高の天気で稲刈りとなりました。先週の日曜の勉強会で、半分稲刈りは終わっていました。残り、半分をみんな(12人くらい・・・)でやりました。鎌で、根本のところを、ザくって感じで刈っていきます。三束づつを重ねて、はざがけ。
慣れないと、全てが難しいです。今日は人数も多く、面積も狭かったので、ペースを掴みかけたところで、終了。

芽がでて、田植えをしたときの事を思い出した。
狭いながらも、自分達で、お米を作る。
お米を作る事を通して、多くの事を学んでいる気がした。

農作業の途中に、お茶をしながら、雑談。ゆったりとした時間。めりはり。
仲間との、交流。普段と違う自分と、相手。

普段、何気なく食べている、食事。一粒、一粒、野菜。全ての、めぐみに感謝。
多くの人の、愛、に、感謝。

自分で米を作りたいなって、素直に思った日でした。
モノには色々なサイクルがあると思う。
人の子なら、10月10日?
モモ、クリ、3年、柿8年。
亀は千年、鶴は万年?

・・・米は、一年かな。長いサイクルと、短いサイクルのバランス。

答えはシンプルなはず。難しくしているのは、自分自身。
今日は平日にもかかわらず、満室です・・・。
家族づれに、リピータの人。
昼間には、取材の人たちも来ました。

多くの人たちとの、出会い。感謝です。
「恋人はお互いをみるものではない。一緒に同じものを見る人の事だ」

「僕と取り巻く世界は、僕の願い、そして僕の限界の反省なのかもしれない。
 夢は無限に浮かんでくるように思えて、実際にはその夢こそが自分をせばめているのかも   しれません。自分の限界を反映しているのは自分の夢そのものかもしれません」

「生活はつまらないルーティンワークではありません。
 生活とはインスピレーションに、正直に、夢だったものを現実にしていゆけるワークショップではないでしょうか?」

「人生で大切なのは、“何を知っているのか“ではなく、“何をしているのか“なのだ。」

友達が彼の本を貸してくれました。昔、読んだ事があることに気がつきました。忘れていました。時々、ちらっと目を通すと、新鮮なようなきがしています。

考えすぎない事。シンプル!
今日、原村の、カナでアンファームの、はせやんと、その仲間がきています。
高校生の体験ステイが、今日の、昼、帰りました。
新しい体験の、早紀さんが東京から、きました。ジュン君が帰ってきました。

そんな、こんなで、多くの人、モノ、時間が、交わり、行き交う場所。
それが、シャロムであり、オアシスなのかなって、ふと、思う瞬間。

三郷の、大倉さんのところに、りんごを採りに行きました。まこもも、収穫しました。
生産者の、顔が見える。これ以上の安心は、ないような、気がします。
今日は、玄米コーヒーを、焦がした・・・。かなり、ブラックっていうより、ブルーです・・・(笑)。あと、10分早く、見ていたら・・・。後悔、先に立たず・・・。
畑に、行って、種を蒔くのも大事。でも、焦がしたら。改めて、バランス。そして集中。

反省の日々。米を作ってくれた人。それに携わった人、自然、全て。運搬。
もっと、集中。それに、限る。

ダライラマが言っていました・・・「人間は、苦を喜びに変える能力を持っている」
結局、苦という概念も自分次第。苦もあり、楽もあり・・・それでも、何とか生きている日々。感謝。

be simple! small! happy!
「できない宿題は与えられない。それが最高の安心」

「自然界にもし意志があるとすれば、それはこの世に存在するすべてのいのちを育てたいというものでしょう。
そこには人間の考える善悪の入り込む余地はないのです。
そして命というのは生ぬるい環境を与えられると命の根が深くならないのです。
そこで自然はすべての命を育てたいという意志の下に、その時々の成長に必要なだけ困難を与えるというのです。
この困難を、東洋医学では、『宿題』というそうです。
ぴったりのタイミングでその人の実力に見合った宿題を出すわけですが、一分の狂いもない自然界からはあなたにできない宿題はやってきません。
けれど、できない宿題はないということを安心していわかっていれば、興味は、この与えられた宿題をどう解いてよいのかということに向かいます。
ところが「自然の意志は、私を育てようとしてくれている」ということを知らなければ
「何で私だけが・・・」という被害者意識でなお苦しみを募らせることにもなりかねません。

自分もまさしく自然の一部であり、たくさんの命によって育てられた使命を持った大切な大切な存在なのです。
その困難の先にある成長した自分を確信して、楽しみながら向き合ってみるとピンチはチャンスに変わります。

今日もそんな自分、相手の為に、私の為に、命をなげだしてくれる食べ物があることに、感謝しながら・・・。」

        救いは一歩踏み出すことだ。

        さらにもう一歩。

        そして、たえずそのおなじ一歩を

        繰り返すことだ

      サン・テグジュペリ 『人間の土地』

集団生活を、していると、良いこともあるけど、その裏には当然、面倒なことや、イヤな事もある・・・。どっちがいいとか、悪いでは、なく、「バランス」が大事。ってわかているけど。。。
今日は朝から、雨。
夜には森の子のお父さんの、懇親会。
自分も、いつの日か、親父になれるのかなって、ふと思う今日この頃・・・
             
「何をさがしているのか 何を求め 何を見たいのか
 結局 変わらないものとの 出会いではないのか」 星野 富弘

今日は朝からキノコ採り。天気はサイコー!朝普通に、起きると上妻さんが、早く行こうっと。8時ぐらいには、八ヶ岳の麓にいました。澄んだ空気、ぱりっとします。ていうか、寒かったですが・・・。樋口さんは、一人で山へ。二人で、まったりしていました。
昼近くにやすよさんと、合流。いざ、山へ。黄色の「きべんだけ」は一杯ありました。

森の中を歩く・・・それだけで幸せです。生きている事に、元気いることに感謝です。
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